こんにちは!
ライフコーチみつはしあきこです^^
いつも、ご覧いただきありがとうございます
「見守る」ってよく言うけれど、きっといろんな
「見守る」
があって
それは年齢や成長と共に変わってくるのでしょう。
そして、子どもが思う
「見守ってほしい」「見ていてほしい」
にも変化があります。
そう、
“子どもの「見て見て~」「お母さん、見てて」には終わりがある”
っていうことです。
我が家には、中3、中1、2歳10か月の三人の息子がいます。
この上と下の間の差で、先日ふと気付いたことがありました。
それが・・・
“見てて~”“見てみて~”
には終わりがあるってこと。
今日はそんな話を綴りたいと思います(^^)
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月~土まで保育園に行くことの多い三男に、いつもよりも「見てみて~」に答えてあげられたかなと思ったとある日。
だからか、耳から聞こえる「見てみて~」「お母さん見てて」は、少なかったかもしれないなと。
すべり台の階段を上がりながら「おかあさん、みててね~」と言う三男
「うん、見てるよ~。おー!早いね~。」
このやり取りをしながらふと思い出した。
その日の前日、15歳の長男には
「見ないで」
と言われたなと・・・
実際には、学校公開に来ないでねと言われたわけだけど
「見ないで」
ってことだよね。
もしくは
「見てなくても大丈夫」
とか
「見てなくても信じて」
とか
そんなことかもしれないなと思ったんです。
「自分の姿を見ててほしい」
にはきっと終わりが来る
それも、寂しいけどちょっと早めに・・・
でも
「心では見ててほしい」
はもう少し長いかな!?
親からしたら、子どもは一生子どもであって
心配する気持ちや気にかける気持ちは、一生変わらないのかもしれないけど
子どもは一人の人間として成長していくし
そこには順序やタイミングがあるんだなと、15歳の長男と2歳の三男を見て感じたこと。
我が家のバラエティ豊かな息子たちは、いろんなシーンで私に気付きを与えてくれる。もしかしたら、どちらかだけじゃ気付けなかったことかもしれないな。
「思春期」「反抗期」「イヤイヤ期」も、ありですね(笑)
それに、
「見ないで」
は、今まで
「見てて」
だったことからの成長であり
今まで
「見てて」
あげられたからこそ起こる成長なのかなと
少し自分を褒められるかな^^
ふと振り返ると・・・
長男次男は0歳児から保育園に通い、毎日延長ラストのお迎え・・・
学童からも一人で帰る鍵っ子で、残業している間も二人で待つ生活。
途中からはシングルマザーになり、沢山寂しい思いをさせたなと・・・
正直今でも罪悪感で苦しくなることもある。
残業帰りの道のり、何度も自分を責めて泣いたっけ・・・
でも、そんな私を長男も次男も責めたことは一度もなく
もっと「見てて」欲しかっただろうな
もっと一緒にいてほしかっただろうな
そう思うこともあるけど、その時はその時の精一杯をやっていた
間違いなく、大切な二人のために、精一杯やったと言える
すべての
「見てて」
には答えられなかったけど
私なりの大切にしたいところは、見ててあげられたかな・・・
だからこそ三男の、短い期間の
「見てて」
を、もっともっと大切にしたいと思う
この
「見てて」が満たされることの大きさも、愛されていることを伝えるコミュニケーションも
どれだけ大切かを知ったから・・・
だからこそ、あなたにも大切なことを知ってほしい
親のほんの少しのコミュニケーションで、子どもの「見てて」を満たすことができるし「見てるよ」を伝えることができる
愛されている
愛される存在なんだと、自分で自分を肯定できる
「自己肯定感」を育むために
子どもが将来自分で自分の未来を切り拓いていけるように・・・
子どもから学ぶことは多い。
そして、それは自分自身に対しての振り返りだったりする。
今子育てに活かすことだけでなく、
自分で小さい時の自分を認めてあげるような、そんな感覚になることもある。
私は「見てて」が言えなかった。
いや、望めなかったから言えなかった。
だって・・・「見てて」欲しかった母がいなかったから・・・
まだまだ親に依存して甘えて、安心感を得られる時期に、私は大人になろうとした。
だから、小さな甘えたい私がそのまま置き去りになっていた・・・
わかっていたのに、そこに目を向けずに来たことに
ようやく気付いてきたのは、実は結構最近の事。
まだまだ私も、過去と向き合い中なのです(;^ω^)
でもね、いくつになっても遅いってことはないんだなってことにも気が付いた。
だから
「子育ても同じで、自分の子ども達との信頼関係を築くことも、遅いことなんてないから
今からだって大丈夫。ちゃんと伝わりますから。
今日も最後までお読みいただきありがとうございましたヾ(*´∀`*)ノ